介護と保育をつなげる新しい福祉
株式会社global bridge 貞松成さん
株式会社global bridge代表取締役 貞松成さんは、介護と保育の事業を進めながら、更にそれを組み合わせるというユニークな事業を実現され様々なメディアに登場していらっしゃいます。若くして保育と介護を手掛けることを目指し、そして実行し、その事業は全国に広がっています。貞松さんの若いころの生い立ちから今の理念に至るまでと、今各方面で注目されている介護×保育事業の詳しいお話しまで、多くの気づきと刺激を与えてくださる素晴らしいインタビューとなりました。では、貞松さんの授業はじまりです。
Q:学生時代から介護と保育の事業を考えていらしたそうですが、そのきっかけはなんだったのでしょう?
父親の事業がバブルの影響で経営難に陥ってから、大変厳しい生活を強いられていました。その影響もあって、一時的に一家も離散して独りになり、当時一人暮らしの家に帰ると電気もつかない水もガスも出ないという生活をしていました。そんな生活が続いた結果、栄養失調で入院したこともあったのですが、生きるのに少し疲れていましたね。それが19歳になったばかりの頃です。
その頃はとにかく1円でも高い時給のバイトを探していました。時給が高いということでキャバクラのボーイをやったこともあります。マクドナルドの時給が確か632円で、それは850円位でしたね。たまたまそこに来ていた中小企業の経営者の方といろいろ話をすることがあって、いろんな気づきがありました。それは「働くなら人の役に立つような仕事しなきゃだめだ」ということ。また、時期を同じくしてパチンコ店でアルバイトをしていた時の経営幹部の方に「お前みたいな奴はいらん。辞めろ!」更には「ウチでもいらんし、社会でもいらん」とまで言われて(笑)でもその方は単に叱るだけでなく「何でそこまで言ったかわかるか?お前には見込みがあると思ったから、そう言ったんだ」というフォローと「何のためにお前はウチの店でバイトしているんだ」という「何のために?」っていう目的意識を問いかけてくれました。その時に自分が空っぽだったことに気づきましたね。
そこで「やるならば社会の役に立つ仕事したい」という思いが芽生えて、当時大きな社会問題になっていた「環境」と「福祉」のどちらかにしようかと考えました。たまたまだったのですが大学のゼミがマルサスの人口論や少子高齢化に対する経済学だったんです。日本の高齢化社会を踏まえ、これからは介護と保育が最も社会にとって必要になるはずだと考えるようになりました。ただ最初は介護と保育のどちらから始めようかというのはなかったですね。
Q:卒業後居酒屋で働かれて、独立後は保育所を開業されています。なぜ最初に保育所だったのでしょうか?
貞松さんの著書「元居酒屋店長25歳、保育所開業-そのノウハウ」には若くして大志を持ち、保育事業に真摯に取り組む姿が描かれています。事業化までの着実なプロセスなど読む人をどんどん引き込んでいく良著です。 実をいうと最初に就職した会社(某有名居酒屋チェーン)が九州に無かったためか、それまで僕はその会社をことを知らなくて。参加した説明会で様々な事業展開を考えているということを知って興味を持ち入社したのですが、蓋を開けてみるとほぼ居酒屋しかやっていなくて(笑)最初は毎日仕込みしたり、皿を洗っては割って怒られていましたね。当時は1年間で半分以上辞めるほど離職率が高かったので、かなりつらい労働だったのだと思います。それでも何とか頑張って1年経った頃には35人位のスタッフを抱える店舗の店長になっていました。
店長としてスタッフをマネジメントしていると、すごく伸びる人といつまでたっても伸びない人、そしてずっと同じことをしている人との差がとても大きかったのを感じました。実は入社する前までは居酒屋のことを“単に料理を作って運ぶだけ”だと思っていたんですが、本当はとても奥が深い仕事で、事業を行う上での経営資源がひとつの店舗に集約されていますし、良い人材とそうでない人材の差、そして、そもそも人そのものが良くならないと業績はけっして伸びないということを実感した時、飲食店というビジネスは人が全てなんだとわかったんです。
一緒に働いてくれていた部下にはいろんな性質がありました。優しい人、厳しい人、そして寡黙な人など多様です。僕が一緒に仕事をしながら成果を挙げられた部下の性質は“素直であること”でした。そもそもこれがないとマネージャーのいうことさえ受け入れることができない。それぞれみんな言い分があるし、みんなそれぞれが正解だという中で、それでも受け入れないといけないという状況の中で一番大事なのは“素直であること”だと思うんです。食事を扱う商売だったのでよく食べ物を例にして言っていたのですが「まずは一度口にして、あまり美味しくなかったり栄養にならないと思ったら食べなければいい。でも、まずは一度口にしてみようよ。そうしないと何もわからないだろ。そういう感じでいこうぜ!」と部下には伝えていましたね。
その素直かどうかっていうのは、きっと小さい頃からの積み重ねだなと思うんです。よほど大きな人生の転機がない限りは、人の価値観というのはなかなか変わらない。こういうことから人の教育に関わる保育事業から始めようと思いました。
Q:どのように保育と介護と組み合わせるというアイデアを思いつかれたのですか?
実は学生時代に卒論で書いてるんです。ただあの時の事業計画書をみたら愛おしくなりますね(笑)本当にこれでやろうと思っていたのかと。でも夢って大事ですよね(笑)考えていたのは”おじいちゃんおばあちゃんたちによる保育”だったんです。これからの日本は絶対的に労働力が減少するから、そうした世代を超えた相互扶助が求められてくると思いました。実際、戦後しばらくはおじいちゃんおばあちゃんたちが子どもたちの面倒をみていたんじゃないでしょうか。
ただ事業的には介護保険が出来たばかりということと保育に至っては未だに全国施行の民間制度もないこともあって、実現するには厳しい状況が続きましたね。しばらく経ってまずはデイサービスだけを始めて、やりながら考えていくことにしました。おじいちゃんおばあちゃんに子どもが接することに抵抗を感じるお母さんがいるかもしれない、また感染症の問題など不安はあったのですが、とにかくまずはスタートさせました。
それでやってみて結果は良かった。ただおじいちゃんおばあちゃんによる保育は大変でしたね。おじいちゃんおばあちゃんが子どもの世話で疲れ果てしまうんです。だから今は1日1時間程度の世代間交流に運用を変えています。そうした様々な当社の仕組みが機能してきて、今年からようやく全国どこでも出来る事業モデルになってきました。そんなに数多くは展開出来ないのですが、それでも各自治体に1つくらいはあってもいいように思います。市や区にひとつあれば、みなさんも通える範囲ですしね。また子ども好き、おじいちゃんおばあちゃん好きという方も保護者の中にいらっしゃいます。そしてこうした高齢者とのふれあいって大事だよねって、言ってくれる方もいます。各自治体に1つずつあれば、そうした要望に応えられると思っています。