Q:今、デザイナーのあり方と同じように人々の暮らし方も問われているように思います。ただ頭ではコミュニティが大事だっていうのはわかっていても、なかなかそうできない。僕らはどうあるべきなんでしょうか?
”街のことは役所におまかせ”というのも、さっきのモダンデザインと一緒で風邪を引いていたころの弊害だと思うんですね。例えば税金を納めているんだから税金を使う行政が目の前の道も掃除すべきだろう、街路樹も手入れするべきだろうっていうように、自分のプライベートの敷地から一歩外へ出ると、いきなりパブリックになってしまうんですよ。でも昔は自分たちのプライベートの前も自分達の領域だって認識していたし、街を作っていくとか道路を作っていくっていうのは、自分達の責任でやらなきゃいけないっていうことを認識していたんだと思うんです。だからこそ集落の人たちで道を普請していく『道普請(みちぶしん)』っていう言葉があった。道は集落の合意の上でみんなで作っていくもので、それがいつの間にか行政が道路を敷くことになってしまった。
少し細かい話をすると、集落にいる人たちが自分達の集落の空間を村長と相談しながら全部決めて、そして自分達で普請していくっていうことが江戸期まで続いていたんですね。なぜそんなに結束できたのかっていうと、年貢が村の長にかかっていたからなんです。村長は年貢を領主や庄屋とかに納めないてはならない。「あんたのところには30石納めろ」って言われたら、そこに住んでいる人たちに対して「あんたの家は畑が多いんだから5石だしてくれ」もしくは「こっちは3石で良い」とか、それぞれの広さと家族の状況を見ながら村長が決めていって最終的に30石を集めていた。
村長にとってみんなが一丸となっていることが死活問題で、それが1人でも2人でもいなくなったらお米が集まらなくなる。年貢がまとめられなくて納められないんじゃ、村長は失格になります。それで一生懸命そこを守ろうとしていた。だから「結」であったり「講」であったり、結びつきを強めるようなアクティビティが村にはたくさん存在した。いわゆる地縁型のコミュニティをきっちり作ってきたんですね。
明治以降、この仕組みが解体されてしまったんです。村長は形式的な町内会長になり、基本的に税金は個人にかかるようになってしまったので、そうなると税金さえ納めていれば隣人と共同する必要なくなってしまった。だからみんなで話し合っての「道普請」とか、みんなで「よし、ちゃんと年貢を納められた」っていう共同作業も必要なくなってしまった。それでも農村集落の場合は共有地をいつ掃除するんだとか共同の作業が残っているんですが、都市化されちゃうと共同した作業は全部お金で解決すればいいということになっていったんですね。税金納めたんだから、もう共同作業のところは全部行政がやってくれっていうシステムに変わってしまって100年がたったんです。
いま産まれて育っている人たちは、そのことを忘れた世代なので「ここからは行政、ここからは自分」っていうようにきっちりとプライベートとパブリックを分けてしまう。「パブリック=行政」となっちゃったんですね。でも本来的に言えばパブリックにもいろんな段階があって、本当に行政がやらなければいけない領域と地域の人たちが集まってやればいい部分とグラデーションになっていたはずなんですね。
そのグラデーションをもう一度、僕らは理解し直さないといけない。自宅の前の道のことだったり、まちの将来像だったり、地区計画とかっていうのは少しずつ住民参加型で決めるようになってきている。景観計画っていうのも地域の人たちが集まって方針を決めていった方がいい。「あなたの地域の景観はこうあるべきです」って専門家が決めるんじゃなくって、地域の人たちが集まって「この地域の景観はこういうほうがいいですよね」っていう景観計画をたてて、それを行政に提案して、それを認めてもらうという枠組みが必要です。
ただそういう枠組みは徐々にそろってきているのだけれども、知らなかったり、もしくは知っていても参加しようとしない。住民の方々には是非そういうのに参加して欲しいと問いかけたいですね。というのは、そこに参加しないまま隣に超高層のマンションが建つ計画が持ち上がってから反対運動をしても遅いんですよ。制度上はもうそこに建てていいことになってる。いいことになっているから開発申請もおりてるいるわけで、その段階になって反対運動をしても遅いんです。自分達の町は自分達で方向性を決めるんだっていう意志を持って、景観計画を作る時は主体的に集まって「自分たちの街をどうするか」っていう話をした方がいいだろうと思いますね。
Q:最後に、山崎さんご自身はどのような暮らし方をしていきたいですか?
2つのコミュニティーを行き来しながら暮らしていきたいですね。1つは地縁型のコミュニティです。住んでいたり働いていたりするところ。自分の家族を中心にして息子やお母さんたちと一緒に地域でコミュニティを組んでいくという事。会社だったら、スタッフとかメンバーと一緒に楽しく生きていきたいなと思います。それが地縁とか社縁とかいった縁でつながっているコミュニティです。もう一つはテーマ型のコミュニティ。こういうことが趣味だよねっていう、なんか面白いことで集まっている人たち。そして、この2つをあんまりはっきり分けずに、一緒に、そして重なる部分はどんどん重ねながら楽しんでいきたいですね。
実は今の会社、テーマ型と社縁のコミュニティが一致しちゃってるんです。だから働いている人たちと一緒に旅行に行ったり美味しいものを食べに行ったりとか、自分達が楽しみたいなとかやりたいなってことを共有しながら一緒に仕事をしている。コミュニティって2種類あるんですが、どうしてもそこに住んでいる以上結びついちゃう地縁型とか働いている以上結びついちゃうといった逃れられないタイプのコミュニティ、そして趣味として入っている柔軟なコミュニティ、こういう2種類のコミュニティを行ったり来たり、重ねられるところは重ねながら生きていきたいなと思っていますね。
今日は本当にお忙しいところありがとうございました。
終始笑いの絶えないインタビューで、内容の濃さ含めすっかり山崎さんのペースにハマりきった1時間でした。日本社会の課題、デザインの課題、それらを全部ひっくるめて全て解決している。しかもソフトで。デザイナーってこんなことができるんだと改めて教えられた気分で、インタビューが終わったあとはしばし放心状態でした(^_^; さて改めて山崎さんのご著書を紹介せねばなりません。『コミュニティデザイン:人がつながるしくみをつくる』(学芸出版社)。私はすでに読みましたが、仕事そっちのけで一気読みしてしまいました。この人は世直し人か、コーディネーターか、なんなんだろうか、とにかくとても魅力的な方で、ユルツナは今後も山崎さんの活動をチェックしていきたいと思っています。
ユルツナクルー イソム、マイ
山崎 亮
株式会社studio-L代表取締役
京都造形芸術大学教授、空間演出デザイン学科長
1973年愛知県生まれ。地域の課題を地域に住む人たちが解決するためのコミュニティデザインに携わる。まちづくりのワークショップ、住民参加型の総合計画づくり、建築やランドスケープのデザインなどに関するプロジェクトが多い。「海土総合振興計画」「マルヤガーデンズ」「震災+design」でグッドデザイン賞、「こどものシアワセをカタチにする」でキッズデザイン賞、「ホヅプロ工房」でSDレビュー、「いえしまプロジェクト」でオーライ!ニッポン大賞審査委員会長賞を受賞。共著書に「都市環境デザインの仕事」「マゾヒスティック・ランドスケープ」「震災のためにデザインは何が可能か」「テキストランドスケープデザインの歴史など」(引用元:「コミュニティデザイン 人がつながるしくみをつくる」山崎亮著 学芸出版社)